イギリスの鉄道【歴史編】

世界初の鉄道が誕生

リバプールマンチェスター鉄道

リバプールマンチェスター鉄道の開業記念列車

世界初の鉄道については諸説あります。ヨーロッパ各地で作られた、馬車が通るための専用道路やトロッコ列車などにその原型が認められますが、商業ベースで世界初の蒸気機関車が走ったのはイギリスです。

その鉄道誕生の布石となったのが、18世紀からイギリスを中心にヨーロッパ各国で劇的に進展した「産業革命」です。ジェームズ・ワットによる蒸気機関の改良など、後に鉄道を生み出す元となる技術的なブレイクスルーが既に起きていました。そしてある程度の速度を出すために必要な車輪や車軸のシステム、鉄道の安全な運行に必要なブレーキの技術など、鉄道の誕生を後押しする技術の裏付けも固まりつつありました。

当時のイギリスは産業革命の後半に差し掛かっていました。産業革命の進展で大量の原材料を速く安全に輸送する需要が俄然高まっており、運河や川などに変わる何らかの新たな輸送システムが求められていました。

そのような時代背景の元で、1803年には馬の牽引による公共鉄道「サリー鉄道」がロンドン南部で開通、1804年には鉱山技師のリチャード・トレビシックが世界初の蒸気機関車の実用化に成功します。

そして1825年、イギリス北東部で記念すべき世界初の蒸気機関車による公共鉄道「ストックトン・ダーリントン鉄道」が開業します。「鉄道の父」として有名なジョージ・スティーブンソンの蒸気機関車試作機「ロコモーション号」が走行したのがこの時です。このストックトン・ダーリントン鉄道が開業して数年はまだ蒸気機関車の性能は低く、当初は馬による牽引もされるなど実験的な要素も多分に含んでいました。

ストックトン・ダーリントン鉄道の開業から5年後、1830年の「リバプール・マンチェスター鉄道」の開業により、本格的な旅客向け鉄道の時代がスタートします。リバプール・マンチェスター鉄道の誕生に大きく寄与したのが、ジョージ・スティーブンソンです。

リバプール・マンチェスター鉄道が開業する前に開催された「レインヒル・コンテスト」でジョージ・スティーブンソンの「ロケット号」が優勝を果たし、リバプール・マンチェスター鉄道の蒸気機関車として採用されることになります。

リバプール・マンチェスター鉄道の誕生により、産業革命の中心地・マンチェスターと、ロンドンに次ぐ第二の港・リバプールが鉄道で結ばれます。結果として、綿や鉄鉱石などの原材料やさまざまな商品をより速く、大量に輸送することが可能になりました。そしてそれまでは貨物輸送が中心だった鉄道が、貨物と旅客の両方を輸送する交通機関へと変貌を遂げたのです。

鉄道の本格的な始動は、経済的にもそして生活面においても、イギリスの産業構造や人々の生活に甚大なるインパクトを与えました。鉄道は産業革命における技術の集大成と言えます。そしてイギリスだけにとどまらず、他のヨーロッパ諸国へと、鉄道建設の動きが波及していきます。

鉄道狂時代

1840年代になると、イギリスに鉄道ブームが到来します。当時まだ新しい技術だった鉄道はしきりに持て囃され、イギリス各地で盛んに鉄道が建設されました。中でも「ヨークの鉄道王」と呼ばれた鉄道投資家ジョージ・ハドソンは鉄道ブームで巨万の富を蓄えます。ハドソンが保有する鉄道路線は、イギリス全体の路線網の1/4にも及びました。

他のヨーロッパ諸国と比較すると政治が安定し、政府が鉄道建設へ関与することが少ない「自由放任主義」を取っていたことも鉄道建設ブームが起きる一因となりました。

バブル化した鉄道ブームですが、1840年台の終わりには終息を迎えます。その後ジョージ・ハドソンは詐欺で失脚し、財産のすべてを失うことになります。様々な影響をもたらした鉄道ブームですが、イギリス全土の隅々まで路線が建設され、各社間の激しい競争によって運賃が下がるなど、一般大衆にとって鉄道はより利用しやすいものとなりました。

世界初の地下鉄

1861年1月10日、ロンドンで「世界初」の地下鉄が開業します。当時のロンドンは馬車や人が激しく行き交う大都市で、渋滞を避けるため何らかの公共交通が必要でした。また、ロンドンにある複数のターミナル駅間を結ぶ馬車以外の交通機関が求められていました。

開業当初のロンドン地下鉄

開業当初のロンドン地下鉄

既に建物が立っている場所に線路を引けない事情があったので、「地下」に線路を敷設するというアイディアが採用されることになります。当時としては画期的なアイディアでした。トンネルが円形に掘られていたので、地下鉄は「チューブ」と呼ばれるようになります。

開業まもない頃の地下鉄は蒸気機関車牽引だったので煙がすごく、乗客の評判は今ひとつでした。又、火花が飛ぶことによって火災もたびたび発生しました。その後、より深く地下まで掘削する工法など技術革新が続き、1890年にロンドンの地下鉄は電化されました。

繁栄の時代

ビクトリア王朝時代は、イギリスが繁栄を謳歌した時代です。そして鉄道は黄金時代を迎え、鉄道会社間の競争も激しさを増していきます。当時を代表するエピソードが「北への競争」です。

ロンドン〜スコットランドを結ぶ二つの鉄道会社が、西海岸と東海岸の路線で互いにスピードとサービスを競い合います。技術競争が加熱した結果、最終的には事故が発生し、社会問題になって「北への競争」は終焉しました。

当時のイギリスの鉄道の技術とサービスは世界最高レベルでした。しかし1930年台に勃発した世界恐慌によりイギリスの鉄道は少なからず打撃を受けることになります。また、19世紀前半に登場した自動車が、鉄道のライバルとして立ちはだかります。

二つの世界大戦と国有化

第一次大戦が勃発すると鉄道は政府の管理下に置かれます。そして1921年には100以上の鉄道会社が4つの会社(四大鉄道会社いわゆるBig Four)に統合されます。

  • ロンドン・アンド・ノースイースタン鉄道(LNER)
  • ロンドン・ミドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMSR)
  • グレイト・ウェスタン鉄道(GWR)
  • サザン鉄道(SR)
爆撃を受けたセント・パンクラス駅

ドイツ軍の爆撃を受けたセント・パンクラス駅

第二次世界対戦では、鉄道が重要な役割を果たします。兵士や武器の輸送に鉄道がフル稼働します。イギリスの鉄道も戦争で少なからず被害を受けたのですが、他のヨーロッパ諸国と比較すると比較的被害が少ないほうでした。

ただ一から鉄道網を作り直して復興を遂げた他のヨーロッパ諸国と比べると、皮肉にも近代化が遅れる結果となりました。第二次世界大戦で疲弊した鉄道に投資するという意味もあり、イギリスの鉄道(ビッグフォー)は1948年に国有企業「British Rail」として国有化されます。

ビーチング・アックス

イギリス政府によるイギリス国鉄の再建策は、リチャード・ビーチング博士の提唱による「ビーチング・アックス」と呼ばれる大胆なリストラ策へと結実します。1963〜1974年にかけ、不採算路線・駅の廃止、主要幹線の電化などの策が取られていきます。また、時代の流れの中で蒸気機関車は次第にディーゼルや電車に置き換えらていきました。1960年代末までに蒸気機関車は全廃されることになり、今では保存用の蒸気機関車としてその名をとどめています。

結局のところビーチングによる施策はあまり効果を結びませんでしたが、1970〜80年代には高速列車「インターシティ」の導入や、主要幹線の電化が実施され、British Railの業績が再び上向くようになります。

分割民営化

1980年代、当時のサッチャー政権は、市場競争原理にもとづいて規制緩和政策を打ち出します。鉄道の民営化は時代の流れによる必然でもありました。民営化の手続きは少し遅れましたが、1994〜1997年にかけてイギリス国鉄(British Rail)は当時のメイジャー政権下で分割・民営化されました。結果として、25社の旅客列車運行会社(TOC)に経営権が移譲されます。

その後インフラ設備を担っていたレールトラック(Railtrack)が相次ぐ事故などの影響で破綻し、2002年に実質国有企業のネットワーク・レイルによってレールトラックの事業が引き継がれます。紆余曲折はありましたが、民営化の結果、鉄道を利用する旅客は再び第一次世界大戦レベルの数字まで戻りつつあります。

ただ民営化後もサービスの大まかなアウトラインは政府が決めているので、国有化の時代より政府の干渉が多くなったという側面もあります。一部では民営化の見直し論も起こっています。

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