「鉄道の父」ジョージ・スティーブンソン【鉄道人物伝】

産業革命の時代

ジョージ・スティーブンソン

ジョージ・スティーブンソン

ジョージ・スティーブンソンは、1781年にイングランド地方のニューカッスル近郊で、炭鉱の火夫をしている父の子として生まれました。

スティーブンソンが生まれた時代は、産業革命の真っ只中です。1712年にトーマス・ニューコメンが蒸気機関を用いた鉱山用の排水ポンプを実用化、1785年にはジェームズ・ワットが蒸気機関をピストン運動から円運動に改良することに成功します。このように、後の鉄道の誕生へとつながる技術のブレイクスルーが既に起きていました。

そのような時代背景の元で、イギリスの主要な産業は農業や畜産から「工業」へと大きく変化しつつありました。スティーブンソンは幼少の頃から蒸気機関の修理などを手伝い、様々な技術を習得していきます。

蒸気機関車の実用化へ

1802年にはリチャード・トレビシックが世界発の蒸気機関車を発明します。しかし実用に耐える性能とはまだほど遠いものでした。

スティーブンソンはキリングワース炭鉱で蒸気機関車の試作を重ね、1810年台には16台の蒸気機関車を製造します。スティーブンソンは息子のロバート・スティーブンソンと協力し、1823年には蒸気機関車の製造会社を設立します。

ロコモーション1号

ロコモーション号

ロコモーション号

蒸気機関車製造に関する実績を買われたスティーブンソンは、ストックトン・ダーリントン鉄道の技師に招かれます。スティーブンソンが1825年に製作した「ロコモーション1号」は、ストックトン・ダーリントン鉄道において記念すべき世界初の営業運転を行った蒸気機関車です。とは言ってもまだ速度は遅く、真の実用化までにはまだ課題もありました。ロコモーション1号の現物は、今でもダーリントン市の博物館に保存され、動かせるようになっています。

ロケット号

ロケット号

ロケット号

蒸気機関車が真に飛躍を遂げたのは、1830年に開通したリバプール・マンチェスター鉄道の開通後です。実際に走らせる蒸気機関車を決める公開トライアルで、スティーブンソン製作の「ロケット号」が見事勝利を収めます。そしてロケット号がリバプール・マンチェスター鉄道の列車として正式に採用されることになりました。

リバプール・マンチェスター鉄道の開通以降、鉄道と蒸気機関車は世界中へ広がっていき、人々の生活に甚大なインパクトを与えます。イギリスが各国に先駆けて鉄道のネットワークを構築したことで国内の産業は著しく発展し、ヴィクトリア王朝時代の繁栄へとつながります。

「鉄道の父」

スティーブンソンは蒸気機関車の製造だけでなく、鉄道建設の計画、図面の作成、測量、路線の建設など様々な事業に関与し、世界中から引く手あまたとなります。スティーブンソンがこの当時採用したレールの幅(軌間)「4フィート8.5インチ」(1435mm)は、標準軌として後に世界各地で採用されることになります。このようにスティーブンソンは「鉄道の父」と呼ばれるにふさわしい存在です。