「蒸気機関車の発明者」リチャード・トレビシック【鉄道人物伝】

少年時代〜青年時代

リチャード・トレビシック

リチャード・トレビシック

リチャード・トレビシックは1771年、イングランド南西のコーンウォール地方で、鉱山の親方の息子として生まれました。

少年時代はあまり勉強が得意ではなかったトレビシックですが、好奇心と進取の気性に富む性格でした。19歳の頃から鉱山で働き始め、蒸気機関を始めとする様々な技術に精通していきます。また、彼は大柄で力自慢の人物でもありました。

世界初の蒸気自動車「パフィング・デビル号」

当時すでに蒸気機関は広く用いられていましたが、車輪を付けて道を走らせる段階までには至っていませんでした。トレビシックは、発展途上の技術だった蒸気機関の改良に取り組みます。そして1801年には、自作の高圧蒸気機関を用いた蒸気自動車「パフィング・デビル号」を試作します。

パフィング・デビル号の記念すべき最初の走行では、車両が溝に落ちてしまうという結果に終わりました。しかし蒸気機関を用いた交通機関のデモンストレーションとしては、この「パフィング・デビル号」が世界で初めてだと言われています。

この「パフィング・デビル号」の性能では、長時間の走行は不可能でした。また道路が凸凹な状態だったため、蒸気自動車の重い車両を走らせるには適していませんでした。トレビシックは蒸気自動車の代わりに、車両を鉄のレールの上に乗せて走らせる「蒸気機関車」の製作に乗り出します。

世界初の蒸気機関車「ペナダレン号」

ペナダレン号

ペナダレン号(Photo credit: Mick Lobb)

トレビシックは1804年、南ウェールズ地方のペナダレン製鉄所と運河を結ぶ専用貨物線で、世界初の蒸気機関車「ペナダレン号」を走行させます。走行距離はわずか16km、平均時速は約3.9kmというものでしたが、記念すべき世界初の蒸気機関車が一歩を踏み出しました。

なお長時間走行に耐えられる強度を持つ線路がまだ存在せず、蒸気機関車の技術もまだ未成熟な点が多かったので、実用化に至るまではまだまだ改良が必要でした。

Catch Me Who Can号

Catch Me Who Can号

Catch Me Who Can号

トレビシックは1808年に新たな蒸気機関車「Catch Me Who  Can号」(キャッチ・ミー・フー・キャン号)を製作します。ロンドンの広場でCatch Me Who  Can号に客車をつなぎ、円形の線路を走らせます。

蒸気機関車を世に知らしめるために意気軒昂で臨んだデモンストレーションでしたが、最大速度は時速19km/hと遅く、あまり効果を挙げることはできませんでした。この結果が思わしくなかったため、トレビシックは蒸気機関車の製造から手を引いてしまいます。このCatch Me Who  Can号が、トレビシックが製造した最後の蒸気機関車になります。

不遇の晩年

その後トレビシックは、トンネルの掘削など土木技術の分野を中心に、多彩な発明やビジネスを手がけます。そして1822年には中米のコスタリカで危険な探検を試みるなど、波瀾万丈の人生を送ります。

トレビシックは発明の才能に溢れた天才肌の人でしたが、成功するビジネスにはあまり恵まれず、晩年は貧困の中で亡くなります。1833年に亡くなった時は無一文の状態で、葬式の費用も払えなかったそうです。

「蒸気機関車の発明者」

リチャード・トレビシック像

リチャード・トレビシック像(イギリス・カムボーン)

リチャード・トレビシックは「蒸気機関車の発明者」です。よく蒸気機関車の発明者がジョージ・スティーブンソンであるという誤解がありますが、実際に蒸気機関車を発明したのはリチャード・トレビシックです。

リチャード・トレビシックは蒸気機関車の発明、ジョージ・スティーブンソンは蒸気機関車の実用化にそれぞれ多大な功績を果たしました。もちろん、どちらも鉄道史に輝く偉大な功績を果たしたというのは変わりません。